社会人になって仕事をしていると知らず知らずのうちに、まん丸い心の周りが摩耗しているのかもしれない。もちろん、僕もみんなもそんなことに気づかず生活しているのだが、ある時それが感情という形で表面化する。最近の報道などを見ていると、それが大きな爆発となって犯罪を犯す人もいる。小さい爆発なら、人に迷惑をかけずにすむかもしれない。そんな感情の隆起も子供時代にはなかったことだ。現代人である大人特有の疲弊は、ストレスという言葉だけでは片付けられないのだろう。
この作品と出会ったのは数年前。今の仕事をする前の会社にいた頃。ちょうど、そんな心の摩耗が激しかった頃だったような気がする。作者は川上健一。今回、初めて彼について検索してみると、この作品が「本の雑誌」ベストテン入りをはたし、注目を浴びた作家とのこと。坪田譲治文学賞を受賞し、まずまずの作家活動を現在も展開している。特に作家に思い入れはないが、この作品には深い記憶が残っている。
作品について語る前に少し前置き。小説を読むことで得られる結びつきに二つの違いがある。書店で不意に本を買った場合も、友人に勧められた本を読んだ場合も、不思議なことに作家との出会いか、本との出会いか、二つに左右されるのだ。僕の場合、多くは作家との出会いである。むしろ、本そのものとの出会いは少ない。面白かった作品は、その作家の他の作品も読むためか、結局作家自身を好きになっている。でも、この作品に関しては後者であった。
五年ほど前の記憶なのだが、今でも印象に残っている。ちょうど仕事終わりの電車に揺られながら小説を読んでいて、目頭が熱くなった。これ以上読み続けると、間違いなく涙が出てしまうだろう。そう想い、家に帰ってから後半部分を一気に読み上げ、ぽろぽろと涙を流したのだ。作中の感動のシーンは、人とは違うのかも知れない。主人公ではなく脇役の男の子、確か野球部員の補欠の子が、同窓会で監督だった先生とのやりとりの場面である。詳しい内容に触れると、これから手に取る人のためにマナー違反になるので書かないでおく。
なぜ、あんなに泣けたのか今でも疑問だ。すり減っている感情の浄化によって涙したのか、過ぎ去った少年時代に想いを馳せて泣いたのか。どちらにしても、心の洗濯の涙である。とどのつまり、この本のタイトルの意味が今になってようやくわかった気がする。
人には人生において、巡るべくして巡り来る本があるのかも知れない。この作品は、主人公の野球部での少年時代の思い出だ。僕も野球部だったのでリンクするところが多くあったのだろう。当時、小説を読んでいたときから五年が経てば小説の記憶すら思い出になってしまう。でも、悲しむことはない。何故なら、小説は望めばもう一度出会えるからだ。久しぶりにもう一度、文庫本で手にしてみよう。そんな、ノスタルジックな気分にさせられる。
風はなく、湖も山も木々も岩場も空も、白々と明け始めたばかりで、まだ眠りから目覚めてはいなかった。これは絶対に夢にちがいない、と思った瞬間、女の人が身体を反転させて水中にもぐり始めた。(翼はいつまでも より)
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| ■ 作品談義7「翼はいつまでも 川上健一」 |
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【コラム】 読書三昧 |
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