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『匠』に学ぶ!エアロバティックスパイロット「室屋 義秀」

皆さんは「エアレース」をご存知でしょうか?


テレビで見たことがある方もいるかもしれませんが、飛行機に乗って最高時速370km、最大重力加速度10Gという極限の状況下で速さを競う三次元モータースポーツです。


中でもレッドブル・エアレースは世界最高峰のレースとも呼ばれ、出場できるのはわずか14人。


そんな世界最高の飛行技術を持つトップパイロットの中で唯一のアジア人として活躍する『室屋 義秀』さんから仕事術を学びたいと思います!


室屋 義秀




奈良県出身の室屋さんは子供の頃に「機動戦士ガンダム」を見たことにより主人公アムロに憧れ「大空を自由に飛びたい」と夢を持つようになります。


そんな中、旅客機の見学に訪れた際、コクピットに座ったことでその夢はよりしっかりとしたものになったそうです。


大学ではグライダー部に入部、18歳から本格的にパイロットの訓練を始め、20歳から毎年2ヶ月間単身アメリカへ渡り飛行機操縦免許を取得します。


それと同時に国内ではグライダーの競技会にも参加し、好成績を収めました。


一歩ずつパイロットへの経験を積み重ねていく室屋さんにその後の人生を決めるキッカケが訪れます。


1995年に兵庫県但馬空港で行われた「ブライトリング・ワールドカップ」という曲技飛行競技の操縦技術を目の当たりにし、「自分も彼らのようになりたい」と思い、「大空を自由に飛びたい」という夢が『飛行機の操縦技術世界一』という夢に変わりました。


苦しくても諦めない




世界一の操縦士を目指し始めた室屋さんは、まず機体を購入する為、グライダー教官の仕事をしつつ、昼夜アルバイトで資金を稼ぎました。


しかし、期待を購入してからはアルバイトでなんとかなる金額ではありません。

そこで、当時エアレースなんて日本ではほとんど知られていない中、室谷さんは何千社という企業を回り資金援助を得ようと努力します。


この頃は本当に苦しかったと室谷さんは語ります。


そんな中でも諦めず何とか資金援助を取り付け、2008年にはアジア人初のレッドブル・エアレースのパイロットに抜擢されたのです。


そして2016年、レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ千葉大会で初優勝を飾り、『飛行機の操縦技術世界一』という夢を叶えました。


この時43歳、20年以上練習を積み重ね、困難に立ち向かいチームの皆と勝ち取った勝利でした。


好きだからこそ




室谷さんがここまで諦めずに戦ってこれた秘訣はどこにあるのでしょうか?


「ただ前を見て一生懸命やってきた。」と室谷さんは言います。


これまで何度も「諦めてしまおうか。」と思っていたそうです。


それでも好きだから、世界一になりたいからという純粋な気持ちで夢を追い続けてきました。


「自分には才能が無かったから、がむしゃらにやり続けるしかなかった」とも語りますが、諦めずに少しずつでもやり通すことが出来るのも一つの才能だと思います。


子供の頃に思い描いた夢をずっと追いかけることが出来る人は多くないはずです。


どこかで諦めてしまったり、挫折したり。

それでも諦めなかった人だけが大きな成功へと進めるのです。


いかがでしたか?


室谷さんのように、どんなに困難でも前を向き、自分の意思を貫き通す事ができれば様々なビジネスチャンスを掴む事ができるのではないでしょうか。

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