インライフ

アメリカンクラブインタビュー

大人の男のスポーツとして古くから親しまれているビリヤード。

今回インタビューをお願いした蔵之前さんに、プロとして厳しいビリヤードの世界を30年以上生き抜いてきた半生を振り返って頂きました。


〜ビリヤードとの出会いは〜

23歳ぐらいのときですかね、友人と待ち合わせ場所によく使っていたビリヤード場でプレイしたのが初めてでした。

当然ルールも突き方も初めてなので何も分からなくて、他人のやっているのを真似て遊んでいたんですけど、とりあえず基本を教えてもらおうと思って、店のマスターにキューの突き方を教えてくれと頼んだんですよ。ところが返ってきた答えが「何ゆうてるの、教えることは何も無いよ、全然ちゃんと突けてるよ」というもので、それが妙に嬉しくてそれから店に毎日通うようになりましたね。

今でもそのときのマスターの顔をはっきり覚えてるぐらい、そのときの印象は強く残っています。

実はそのときのキューの握り方が、30年以上たった現在も変わっていないんですよ。ビリヤードと私は出会うべくして出合ったのかなとつくづく思いますね。




〜ビリヤードにのめりこんだ理由は〜

まだそれほど上手くなっていなかった時期に、店の常連さんに「ハンデをやるから金を賭けて勝負しないか?」と誘われたんですよ。ハンデをやると言われたのがものすごく悔しくて、意地になって絶対勝つつもりで勝負したら、なんと本当に勝っちゃったんですよ。もうそれからですね、どんどんビリヤードにのめりこんでしまって、気が付くとやめられなくなっていましたよ。今から考えると、あの時負けていれば今の自分は無かったと言えますね。


〜プロを目指したきっかけは〜

そもそもビリヤードにプロが存在することを知ったのは、かなり時間が経ってからなんですよ。当時通っていた店のマスターが、映画のモデルになるほどの有名なハスラーで、マスターが大会に出たあと店に立ち寄ったときに、マスターがプロだったということを知ったんですね。

プロの存在を知ったのはそのときが初めてでした。


マスターは私の師匠でもあるんですけど、いくらハンデをもらっても一回も勝てなくて、師匠に勝つという目標の延長線上にプロがあったわけです。


本当に厳しい人で、ビリヤードに関してはまさに鬼のような人でしたけど、アマチュアの全日本選手権に優勝して、プロになることを相談したら「その言葉を待っとった、お前に教えてやれることはもう何も無い」といわれましてね、そのときは涙が出るほど本当に嬉しかった。




注)モデルになった映画「道頓堀川」


〜ビリヤードプレイヤーとして最も充実していた時期は〜

意外に思われるかもしれませんが、プロになる前のハスラー時代が一番充実していたんですよ。賞金がかかった真剣勝負ばかりで、一瞬たりとも気が抜けない緊張感に満ちていた頃でした。

まあはじめからそれで成り立ってたわけじゃなく、一時はとんでもない金額の借金を抱えるハメになった事もあるんですけど(笑)

プロになってからは、1ゲームごとの結果より年間通してのアベレージを上げること等の明確な目標を持って頑張っていたんで、また違う喜びは得られたんですけどね。


〜これから先目指していること〜

今は若手を育てるということと、ビリヤードの発展に自分が役立ちたいと考えていますね。

大阪はトーナメント大会の会場になるほどの台数が揃っている店が数件しかないので、自分の店が中心となって関西のビリヤード熱を盛り上げていきたいですね。

あとは、より沢山の人に楽しいビリヤードを続けてもらえるように、お店にきた人たちにそれを伝えていけたらなとは考えています。



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